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ボスニアヘルツェゴビナには主に3つの民族が住んでいました。

1つはムスリム人、2つはセルビア人、3つはクロアチア人。


3つの民族は絶妙なバランスを保って、同じモスタルの町に住んでいました。
それぞれ違う人種同士で友達であり、時には結婚し、家族でもありました。

そして1992年、紛争が始まります。

きっかけはユーゴスラビアの解体。
国家として独立する動きの中で、独立を阻止したいセルビア人勢力、異民族を追い出し、勢力を伸ばしたい各民族。

それは3つの民族が争う紛争の火種としては十分であった。

セルビアとクロアチアによる攻撃から逃げて難民となる事を拒んだムスリム人達には過酷な運命が待ち受けていた。

モスタルの町は周囲を完全に包囲され、道を歩けばスナイパーによる狙撃で多数の人が命を落とした。

モスタル11

現在でも多くの建て物に生々しく刻まれた銃痕。

不足する水や食料、ガスも寸断された町で、スナイパーの恐怖に怯えながらの生活が続いた。



そして


モスタルのシンボルである橋、スタリーモストも1993年9月に残酷な運命を迎える事になる。

クロアチアの砲撃で橋は完全に破壊される。

モスタル12


クロアチア人の祝砲の中、カメラマンが泣きながらその模様を撮影する映像を見た。

泊まったホステルで、紛争のドキュメンタリー映像が毎晩上映された。



ホステルの人はムスリム人で紛争で父や親戚を失った。

「クロアチアが今でも憎い、武器があれば仕返ししてやりたい。」そう言っていた。


映像はボスニア側の製作なので、もちろんクロアチア=悪として作られているが、クロアチアも同じ頃、紛争で
爆撃を受け破壊され、町を包囲され、多数の犠牲者を出しているのも事実である。


紛争が始まる前までは隣人として暮らしていた人々なのに。


今でも火種はくすぶり続けている。きっかけさえあれば、いつでも発火する。

そう思った。


モスタル14

クロアチアのスナイパーが狙撃を行ったビルからの景色。
今ではガラス片が散らばる廃墟と化したビルから、かつて多数の銃弾がモスタルの町に打ち込まれた。

モスタル6

現在の橋は修復された橋。

多くの人が橋を渡る。




ほんの20年くらい前の話である。
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