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もう少しだけボスニアの紛争の話をさせてください。


サラエボにはスナイパー通りと言う通りがあります。

サラエボ4

今は車もトラムもガンガン通っているどこにでもあるような大通り。

20年前にこの通りを横切る事は死を覚悟することだった。

周りを山に囲まれたサラエボの町は、いたる所にスナイパーが配置され、動くものは何でも狙撃の対象となった。銃を持たない市民も、子供であっても老人であっても。

今から20年前の1992年、ユーゴスラビアから独立する形でボスニア・ヘルツェゴビナと言う国が誕生した。
それと同時にそれを阻もうとするセルビア人との間で紛争が始まる。


セルビア人にとってムスリム人は根絶の対象。

セルビア人にとってムスリム人と関わるセルビア人も迫害の対象。ムスリム人の友人をかばった為に殺され路上に晒されたセルビア人もいたそうです。

サラエボ5

セルビア人勢力は紛争が始まって間もなくサラエボの町を完全に包囲した。
包囲されたサラエボに対して行われた砲撃で、サラエボの全ての建物は何らかの被害を負ったとされている。

1番多い日は1日に37000発以上の砲撃を行った。
前の町モスタルで見たドキュメンタリー映像で、インタビューしてる最中にも砲弾の炸裂音がするのに、気にも止めない人々の事を思い出した。

完全に麻痺した感覚。



サラエボ包囲はそれから3年間続く事になる。

完全に不足する物資。水。
寒い冬には公園のベンチまでも薪として燃やされた。が、それでも足りない。

国連の援助に頼るしか道は無かった。

町の地下にはトンネルが掘られた。物資の輸送、市民の脱出に使われたサラエボトンネルは、生命線となってサラエボ市民の命をつないだ。


そして1995年紛争終結。翌96年、サラエボ包囲の終結宣言。


この紛争による死者20万人
この紛争による難民200万人



サラエボ8

今でも足下を見れば、無数の銃痕。
忘れてはいけないのは、

この全ての弾丸は明らかな殺意を持って発射された弾である事。

サラエボ6

紛争はもう終わったという事。

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Thoughts on スポンサーサイト20年前の出来事

says...

Date:2012/09/01 14:49

こんにちわ☆

トンネル掘ってたなんて、初めて知りました。
オリンピックやるほど栄えてたのに、こんなことになるとはね・・・

says...

Date:2012/09/02 21:25

オリンピックの記憶は無いですけど、サラエボのニュースは記憶に残ってます。うちのオカンが「オリンピックで見たサラエボはあんなに綺麗な町だったのに信じられん」と言ってました。

つくづく思う事が、「旅って勉強になる」。

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